何の競技でも親子や兄弟姉妹のプレイヤーは数多くいる。やはり、両親や兄姉の影響を受けて同じ道に進みやすい環境がそうさせるのかもしれない。そして、遺伝や幼い頃からの環境で他の人よりは優位に立てるメリットも大きい。もちろん、だからと言って必ず成功する程スポーツの世界は甘くない事も確か。
プロゴルファーの場合、宮里聖志、優作、藍兄妹は別格として親子や兄弟姉妹で活躍している選手はそう多くはないような気がする。7月11日ニッポンハムレディスクラシックで、プロ8年目にして待望の初優勝を遂げた堀琴音。3歳上の姉奈津佳に続いての優勝は、福嶋浩子、晃子に次ぐ史上2組目の快挙。その苦難の初優勝をリポート。
前途洋々の新人時代
1996年徳島市生まれの堀琴音。ゴルフは3歳上の姉奈津佳の影響もあり、父親の勧めで7歳から始めた。アマチュアのキャリアも十分で兵庫県の滝川二高に進学し、一年時で関西ジュニア、国体を制し、翌年にはナショナルチーム入りした逸材。
高校卒業後の2014年7月、ステップアップツアーのABCレディースにアマチュアの身で優勝。8月にはプロテスト合格。2015年には東芝と専属契約を結んで本格的にプロツアー参戦。いきなり賞金ランク33位となり、史上6人目の10代でのシード権を獲得。
2016年には飛躍の年を迎えたが、4回もベストスリーで優勝争いを繰り広げながら勝てない。特に、女子ゴルフの最高峰日本女子オープンでは、当時アマチュアだった畑岡奈紗との争い。1打差リードの17番で痛恨のボギー。前の組で最終ホールバーディの畑岡に逆転を許して涙を呑んだ。
2017年は5週連続ベスト5を含む9回のベスト10に入りながらも勝利の女神から見放される。いつしか、『勝てそうで勝てない期待の若手』と言われ、次第に調子を落としていく。2018年にはあれ程安定していた堀琴音の面影も消え、一度もベスト10に入る事なくシード権まで失った。
どん底を味わった三年
シード権を失ったプロゴルファー程哀れなものはない。試合に出たくても出る事が叶わず2019年は10試合、2020年はコロナウイルスの影響もあるが、出場したのはわずかに3試合。勝てる時に勝てないで消えていった選手は数多くいる。
しかし、堀琴音は諦めていなかった。2018年7月、ジュニア時代から学んできたコーチの元を離れ、森守洋コーチの指導を仰ぐと決断。「これまでの人生で自分で何かを考えた事がなかった。22歳で初めての大きな決断です」。
ショットに狂いが生じて予選落ちが続き、2年間守ってきたシード権も失ったどん底の時期。ゴルファーを辞める考えも頭をよぎった。しかし、そんな時でも常に前向きな言葉を掛けてくれる森コーチの存在が堀琴音に再生への力を与えてくれた。
信じて共に歩んだ三年間。スイングや技術はもちろん、ゴルフに対する姿勢やメンタルヘルスまで全ての面で教えを乞うたという堀琴音。すっかり自信を失ってイップスかもしれないと疑った時も「イップスじゃないよ。絶対に違う。必ず治る」と言い切った森コーチの言葉が復活の支えになった。
トップ目指して再出発
ここ2、3年、『黄金世代』と言われる後輩達が次から次へと現れては、いとも簡単そうに勝利をものにしていく。『勝てそうで勝てない期待の若手』と言われた堀琴音の名前も、忘れ去られたかのように聞かれなくなった。
しかし、堀琴音は復活に向かって森コーチと二人三脚で試行錯誤を繰り返しながら一歩一歩進んでいた。今年に入って2戦目、3戦目とトップ10に名前を連ねる。最終的には突き放されたが6月下旬のアース・モンダミンカップでは優勝争いに絡んで4年ぶりのトップ5となる4位。
そして迎えたニッポンハムレディスクラシック。初日アウト、インとも安定したプレイで単独トップに立つ。しかし、2日目若手の台頭を許して3打差4位に後退。しかし、今の堀琴音は諦めない。3日目は産休から昨年復帰した若林舞衣子に2打差の2位。
最終日、2打差から並んでは突き放される展開から追い付いてプレーオフ。夢にまで見たウィニングパットを決めて両手を突き上げる。森コーチと、紹介してくれた原江里菜と、北海道まで駆け付けてくれた姉奈津佳の見守る中で、歓喜の涙に咽んだ堀琴音。逆境から這い上がった期待の若手は、真の女王に向かって駆け上がる。
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