何のスポーツでもそうだが、一度頂点を極めながら突然引退を表明して惜しまれつつ表舞台から降りる選手はいる。そして、普通の社会人として新たに歩む人もいれば、再びアスリートとして復活を期す人もいる。中には引退前と変わらぬ実力を発揮して喝采を浴びる選手もいるが、たいていは思い描いていた復活プランと現実のギャップに気付いて静かに去っていく人が多いのではないだろうか。
しかし、2018年6月に突然の引退表明から約4年半ぶりに復帰した❝にいやん❞こと新谷仁美は違っていた。引退前のレベルどころか、当時を遥かに凌ぐレベルのパフォーマンスで駅伝にトラックに圧巻の走りを見せて、走る度に記録を塗り替えて復活を果たした。そして、先週行われた日本選手権10000mで、これまでの日本記録を大幅に更新して東京オリンピック代表の座を射止めた。
● 引退までの新谷仁美
1988年岡山県総社市出身の新谷仁美。総社市立総社東中学校から高校駅伝の名門興譲館高校に進学。全国高校駅伝で一年時からエース区間と言われる第1区を走り、2003年〜2005年の3年連続区間賞を獲得。しかも、2004年、2005年は区間新記録を樹立という華々しい活躍。また、3年時の地元・岡山国体と、インターハイ3000m優勝など高校時代から注目を集めた。
高校卒業後は憧れていた高橋尚子の育ての親・小出義雄率いる豊田自動織機(佐倉アスリートクラブ)女子陸上部に入部。翌2007年2月の第1回東京マラソンに初マラソンで挑戦。2時間31分01秒で初優勝。2008年には北海道マラソン2位。さらに、全日本実業団対抗女子駅伝第1区で好走し、豊田自動織機の初優勝に貢献。しかし、2009年には名古屋女子マラソンで、後半失速して8位に終わった。
2011年豊田自動織機女子陸上部が千葉から愛知ヘ移転するのを機に、同陸上部を退部し千葉陸協所属になり佐倉アスリートクラブに残る。その年、日本選手権5000m2位。アジア選手権5000m銀メダル、世界選手権5000m出場と正に八面六臂の活躍。2012年も日本選手権5000m優勝、10000mと共にロンドンオリンピック代表選出。惜しくも8位入賞はならなかったが10000m日本人トップの9位。
2013年には日本選手権10000mで2位に1周差をつける31分06秒67の大会新記録で制し、モスクワ世界選手権の代表に内定。その世界選手権10000mは自己記録更新の30分56秒70で5位に入賞。しかし、目標のメダル獲得ならず悔し涙にくれた。世界選手権以降は右足裏の故障でレースから遠ざかり、2014年1月突如陸上競技からの引退を表明した。
● 復帰からの新谷仁美
4年間のOL生活から【NIKE TOKYO TC】所属で、競技復帰としては5年ぶりに3000mに出場したのは2018年6月。「アスリートは走るのが好きと思われますが、復帰したのはOLより走る方が給料良かったから」と、4年間のOL生活でオフィスワークに慣れずに復帰したという新谷。その間、復帰を促していたNIKE。そのNIKEが、【NIKE TOKYO TC】というクラブチームを結成したのが復帰の理由の一つ。
まず、新谷の最初のミッションは引退前までのタイムを出す事。13キロ増えた体重を戻して黙々と自身の経験、知識を活かしてほとんど独りでトレーニングを続けて数カ月で、国内トップレベルまで記録を戻した新谷。2018年12月に10000mで世界陸上の参加基準記録を突破して翌年の代表に選出される。しかし、ドーハ世界陸上10000mで11位に終わった。
そこで初めて横田真人コーチとの二人三脚が始まる。これまで、全て独りでやってきた新谷にコーチやトレーナーが加わって一つのチームが出来る。2020年1月アメリカのハーフマラソンで1時間6分38秒の日本新記録をマーク。更に、9月の全日本実業団5000mで14分台の歴代2位。10月のプリンセス駅伝で区間新記録。11月のクイーンズ駅伝では区間記録を1分10秒も更新しての区間新記録。
そして迎えた12月4日の日本選手権10000m。2000mで先頭に立つと独走態勢。2着以外は全て周回遅れとする圧巻の走りで従来の日本記録を28秒45も短縮する30分20秒44の新記録でゴールイン。東京オリンピックで「アフリカ勢をぎゃふんと言わせたい」と言う新谷。今の世界レベルは29分前半とハードルは高い。しかし、4年ものブランクを乗り越えて更に進化した新谷仁美なら、何かを成し遂げるのでは……という期待を抱かずにはいられない。