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日米通算トリプル100の巨人•上原浩治がプロ21年目の引退表明!

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● プロ入りまでの足跡

巨人とメジャーリーグ4球団で活躍して日米通算100勝利、100ホールド、100セーブ以上を記録した上原浩治が5月20日引退を表明した。

上原は1975年大阪府寝屋川市生まれの44歳。父親が監督を務める少年野球チーム〖寝屋川アスナローズ〗で野球を始める。その後、中学時代は〖明徳アスナローズ〗で野球を続け東海大学付属仰星高校に進学。1、2年時は中学時代に野球のかたわら所属していた陸上の脚力から外野手を務めている。

3年になって投手にもなったが、後に日本ハムや阪神、メジャーに所属した建山義紀の控えでほとんど登板機会が無く、夏の大阪大会も順々決勝で敗れ全く無名の選手で終わった。

その後、大阪体育大学を受験したが不合格。浪人中夜間の道路工事のアルバイトをしながら予備校に通い、ジムでのトレーニングにも励んだ。1年後再び大阪体育大学を受験して合格。野球部に入って投げたところ146キロと本人が信じられない程球速が増していた。

阪神大学リーグでは主戦投手となり大学4年間で通算36勝4敗。最優秀投手4回、特別賞2回。ノーヒットノーランや1試合21奪三振、完封13試合等のリーグ記録を残す大活躍。日米大学野球選手権で14奪三振を奪ったり、インターコンチネンタルカップで当時無敵の強さを誇っていたキューバを相手に先発して勝利投手となり、日本プロ球界だけでなくメジャー球団からも注目される存在になった。

 

● 巨人のエース時代

1998年ドラフトでは平成の怪物と言われた横浜高校の松坂大輔と並ぶ存在として注目されると同時に、メジャー4球団も獲得に乗り出したが「メジャーでやるにはまだ自信が無い」と、当時認められていた逆指名で巨人に入団。

ルーキー年から新人投手記録となる同じ巨人の先輩堀内恒夫の記録を13年ぶりに更新する、歴代4位タイの15連勝を記録する等エースの働きで20勝4敗。最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、新人王、沢村賞とタイトルを独り占めした。

その後も故障に苦しみながらエースとしての活躍を見せると同時に、アテネオリンピック、北京オリンピック、WBC等の国際大会で無敗を誇る等の活躍を誇リ、2007年からは抑え投手としての実績を残して、巨人での10シーズンで最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞等を複数回獲得し、112勝62敗33セーブ9ホールドと日本を代表する投手となった。

 

 

● メジャー移籍から巨人復帰、引退表明まで

2008年FA権を取得して念願のメジャー移籍を実現。2009年ボルチモアオリオールズ入団。先発ローテーション入りしてヤンキース戦で初先発初勝利を挙げるが、シーズン途中から度重なる故障で2勝に終わり、翌シーズンからリリーフに回り2011年途中レンジャーズに移籍。

更に2013年Rソックスに移籍。しかし、Rソックスで上原は抑えとして不死鳥の如く蘇った。4年間14勝13敗79セーブ32ホールドと活躍してリーグ制覇に貢献。ワールドシリーズも制して日本人唯一の胴上げ投手にもなった。 

その後、カブスを経て2018年巨人復帰。同年7月20日の広島戦でホールドを記録し、日米通算100勝、100セーブ、100ホールドのトリプル100を達成。10月に左膝のクリーニング手術を受けて巨人を自由契約になった後、再び契約を結んで一軍復帰に備えていたが2019年5月20日シーズン途中で引退を表明した。

今日の引退会見では冒頭から涙を流し、「本日を持ちまして21年間の現役生活を終えたいなと思います。これまでかかわってもらった方々に感謝します。ありがとうございました」と挨拶し、「もう少しやりたかったけど、若手の登板機会を奪ってはいけないと思って決断しました」等と延べ、これまでやれた原動力は「負けたくない、反骨心、それだけですね」と、最後まで雑草魂を貫いた。

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