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戦力外からの復活を目指す男達

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毎年ドラフト会議で指名され新人選手が入団してくるが当然、その分戦力外を言い渡されて自由契約や任意引退選手としてチームを去っていく選手も出てきます。

ユニフォームを脱いで裏方に回る人もいれば、完全に野球から足を洗って別の道を歩いていく選手もいる。

更に、まだまだやれると夢を追って他球団からの接触を待ったり、トライアウトでアピールする選手もいます。

そんな中で所属球団から戦力外を言い渡されながら他球団で復活を期す二人の投手に注目しました。

・五十嵐亮太(39) ソフトバンク→ヤクルト

北海道生まれの五十嵐亮太。小学生の時は千葉県で過ごし軟式野球からスタート。
中学で千葉北リトル・シニアの一塁手として活躍。

高校は強豪の敬愛学園。ここで監督に鉄砲肩を買われ投手に転向し、県内屈指の豪速球投手として名をあげ、1997年ドラフト2位でヤクルトに指名される。

2年目から主に中継ぎ、抑えとして活躍し、当時の日本最速記録158キロの豪速球とフォークでバッタバッタと三振を奪い、2001年ヤクルトのペナントレース制覇と日本一に貢献。

その後、右肘靭帯断裂を発症してオフにトミージョン手術を受け、約1年のリハビリの後に復活。
トミージョン手術を受けた場合、後遺症に悩まされたり、球速が落ちるケースも多いが五十嵐は術前と同じレベルまで回復しました。

2010年にはメジャーにチャレンジしてメッツ、ブルージェイズ、ヤンキースと渡り歩き2013年にソフトバンクに入団して日本球界に復帰しました。

ソフトバンクでも2013年12セーブ、2014年44ホールド等と中継ぎ、抑えとしてコンスタントに活躍したが、昨年は珍しく不調に見舞われわずか20イニング、防御率4.00に終わりました。

そして、今年からプロとしてのキャリアをスタートさせたヤクルトに復帰。
現在は下半身の張りを訴えて別メニューだが、今日7日は捕手を立たせて20球。

「焦りが無い訳ではないが急がず大事にいく」と、日米通算860試合のベテランは先を見据える。

・由規(29) ヤクルト→楽天

中学時代、仙台東リーグの一員として全国制覇。その後、仙台東はアジア大会を勝ち抜いて世界大会に出場。
由規はロシア戦で世界大会10年振りとなるノーヒットノーランを達成する。

高校は仙台育英に進学して2年夏から3季連続甲子園出場。3年夏に甲子園で155キロ、その後の日米親善試合で157キロを計測。

2007年ドラフトで地元楽天等5球団競合の結果ヤクルトが指名権獲得。

1年目から一軍デビューを果たして3年目の2010年には12勝9敗の成績を残し、当時日本最速の161キロをマーク。

本格化したと思われた矢先の2011年、右肩故障発生してその後2015年まで一軍登板が全くありませんでした。

2016年、育成契約を結んだがその年に一軍復帰。昨年まで2勝、3勝、1勝を挙げたが昨年再び右肩に故障発生してヤクルトから戦力外通告を受ける。

ヤクルトは球団職員の席を用意したが、由規はこれまでのヤクルトの誠意に感謝しながらも現役の道を選び、地元楽天と育成契約を結びました。

まずは支配下登録を目指し、肩への負担が少ないフォームに取り組む。
「とにかく、試合で投げたい。一つ一つ積み重ねていく」と意気込みを語っている。