Warning: Use of undefined constant phpable - assumed 'phpable' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/blue0825/blue0825.com/public_html/wp-content/themes/cocoon-child-master/tmp-user/head-insert.php on line 1

ハンカチ王子斎藤佑樹、オープナー、あるいは中継ぎで復活なるか?

人気ブログランキング

● ハンカチ王子とマー君

ハンカチ王子とマー君といっても、分からない若い世代も増えているので、まずはプロ入りまでのプロフィールから述べてみたい。

1988年、群馬県太田市に生まれて小学校から軟式野球を始める。太田市立生品中学校で群馬県県大会で準優勝、関東大会ベスト8。

高校は推薦入試で東京都の名門•早稲田実業学校高等部に入学。1年からベンチ入り。2年秋の都大会で24年ぶりの優勝を果たして翌年春の選抜高校野球大会に出場。横浜高校に敗れ準々決勝で敗退。

伝説となる2006年夏は西東京大会決勝で宿敵日大三高に延長サヨナラ勝ち。甲子園では決勝戦に勝ち進み駒大苫小牧のエース田中将大との投げ合いになり、お互いに譲らず延長15回でも決着がつかず、松山商業ー三沢高以来37年ぶりの決勝戦再試合となる。

翌日の再試合でも志願して4連投、最後はライバル田中を三振に斬って4ー3で早実初の夏の甲子園大会優勝を成し遂げる。ライバル田中とは秋の国体決勝でも再び相まみえ、最後はまた田中を打席に迎えたが抑えて1ー0で優勝投手となる。

● 早稲田大学時代

ライバル田中は楽天に一巡指名されてプロ入りしたが、斎藤は早稲田大学教育学部に進学。
1年春のリーグ戦で開幕戦となる東京大学戦で先発。80年ぶりとなる新人開幕戦勝利を飾る等4勝と活躍して、1年生投手としては史上初のベストナインに選出される。
また、日米大学野球選手権大会にも選ばれる。

翌年以降もリーグ戦はもちろん、日米大学野球選手権大会や、世界大学野球選手権大会代表に選ばれる等の活躍を見せ、東京6大学リーグ通算31勝15敗、防御率1.77、323奪三振、ベストナイン2回と大活躍。

2010年ドラフト会議ではヤクルト、日本ハム、ロッテ、ソフトバンクの4球団から1位指名されて、抽選の結果日本ハムが交渉権を獲得。
新人としては最高評価の年俸1500万円、契約金1億円、出来高5000万円を提示されて入団した。

● プロ入り後

2011年4月17日、札幌ドームのロッテ戦に先発でプロ初登板して5回4失点(自責点1)で初勝利。
その後、左脇腹の故障で出場選手登録抹消もあったが新人年6勝6敗、防御率2.69とまずまずの成績を挙げた。

2年目の2012年3月19日、初の開幕投手に指名されて西武相手に9回1失点で自身初の完投勝利で期待に応える。
4月20日のオリックス戦にプロ入り初の完封勝利、6月6日の広島戦で自身の誕生日をバースデー勝利で飾る等、好スタートを切ったが、それを最後に絶不調に陥り出場選手登録抹消される等して後半は全く活躍出来ずに5勝8敗でシーズンを終えた。

それでも、デビュー後の2年は19試合ずつ登板して計11勝を挙げる等、それなりの数字は残したがそれ以降の6年間は投球回数も一桁か二桁に終わり、6年で4勝10敗と戦力になれないシーズンが続いた。

普通なら既に戦力外通告されてもおかしくない、という非情な声が聞かれる中、期するものがあったのか斎藤はキャンプから精力的にトレーニングに励み、意識改革を進めてオープン戦で好投して結果を出してきた。

そして迎えた後の無い今シーズン。開幕からベンチ入りして8回マウンドに上がり無失点に抑え、チームを勝利に導いた。
更に、4月4日の楽天戦では先発登板。ベンチは短いイニングなら比較的好投のある斎藤をメジャーで見られる短いイニングだけの先発登板、【オープナー】として起用する方針のようだったが2回途中52球3失点でマウンドを降りた。

翌5日出場選手登録を抹消されて二軍に落ちたが、その後イースタンリーグで3試合無失点と好成績を残し、4月20日再昇格を果たした。
4月24日10点リードの9回に登板して三者凡退に抑え、27日には4点ビハインドの8回から投げて2イング1安打無失点。
5月2日の西武戦にもリードされた8回の1イニングを無安打無失点に抑え、再昇格後3試合無失点を続けている。

今のところ、リードされている場面での登板だが、この好投を続けていけば勝ちゲームでの登板、あるいは一度失敗したが再びオープナーとしての起用も考えられる。

ハンカチ王子にマー君と言われた田中は楽天で輝かしい実績を残し、メジャーでも連続二桁勝利を挙げている大投手になってしまった。
高校時代の立ち位置は逆転したが、30歳を過ぎた男は再び輝きを取り戻すべく一歩一歩地道に自分の投球を続けている。

コメント