今、海の向こうで大谷翔平が投げて打ってモンスター級の活躍をしている影で、また一人伝説のエースがユニフォームを脱ぐ事になった。大谷が『令和のモンスター』なら、新人からの実績ではそれを遥かに凌駕している『平成の怪物』松坂大輔。西武入団一年目からエースとして君臨し、メジャーでも活躍したレジェンドがマウンドを降りる。
どんな名選手でも去り際は難しいもの。輝かしい実績に彩られた選手であればある程、自分の力の衰えを分かっていながら認めたくないものだろう。一見、スパッと辞めたように見える選手でもその胸の内に葛藤は抱えていたはず。特に怪我や故障が理由で引退の道を選んだ選手ならなおさら苦悩は深い。その怪我が不可抗力のような松坂の場合は……。
平成の怪物・松坂大輔
松坂大輔といえば横浜高校のイメージが強過ぎるので横浜出身と思いがちだが、生まれたのは青森市。その後、東京都江東区で育ちリトルリーグを経て横浜高校に入学。そのリトルリーグでもシニア日本代表に選出される程の逸材。
松坂の名を全国に知らしめたのは高校三年時の甲子園春夏連覇。本来は「サボりのマツ」と言われる程の練習嫌い。が、2年の夏の神奈川大会決勝戦で自分の暴投でサヨナラ負け。それを機にして奮起し猛練習を積んで150キロ超の速球を投げる超高校級に成長。
そもそも、松坂の高校時代の公式戦成績は40勝1敗。2年夏県大会決勝の横浜商業戦が唯一の敗戦だった。1998年春の選抜高校野球大会では報徳学園、東福岡、郡山を連破し、事実上の決勝戦ともいえるPL学園に競り勝ち、決勝戦で関大一を完封して優勝。
夏は柳ヶ浦を初戦で下すと、続く鹿児島実業、星稜を連続完封。準々決勝では春の再戦となるPL学園を延長17回完投で下す。準決勝でも明徳義塾との接戦を制し、決勝戦では京都成章相手に59年ぶりの決勝戦ノーヒットノーランを達成し、春夏連覇に花を添えた。
西武のエース松坂大輔
甲子園春夏連覇を果たし、『平成の怪物』と言われた松坂は1998年ドラフト会議の超目玉。松坂には日本ハム、西武、横浜の3球団の重複指名となり西武が交渉権獲得。「意中の球団は横浜でした」と直後の会見で語った松坂だが、憧れの背番号18で西武に入団した。
平成の怪物のデビュー戦は1999年4月7日。日本ハムを相手に8回2失点の好投でプロ入り初先発初勝利を飾った。その後も好投を続けて16勝5敗で45年ぶりの高卒新人最多勝。更に、高卒新人として史上初のベストナイン、33年ぶりの新人王と怪物ぶりを遺憾なく発揮した。
2000年には、免許停止期間中の運転による駐車違反が発覚し、それを球団職員が独断で身代わり出頭して世間から厳しく糾弾されたが、2021年まで3年連続最多勝を獲得。沢村賞を受賞するなど本業の野球は平成の怪物の名に恥じない活躍を続けた。
結局、西武在籍8年間で右肘故障で長期離脱した2002年を除いて、2006年の17勝を最高に全て二桁勝利。最多勝3回、最優秀防御率2回、最多奪三振4回というエースの働きで『平成の怪物』の名に恥じぬ活躍。2度のリーグ優勝、日本一1回に貢献し、2006年オフにメジャー移籍。
大リーガー・松坂大輔
2006年オフにポスティングシステムで複数球団の入札の結果、12月14日レッドソックスに入団。一年目から15勝と活躍し、地区優勝からポストシーズンを勝ち進みワールドシリーズで日本人初勝利。入団一年目でワールドシリーズ制覇に貢献という快挙を成し遂げた。
2年目は開幕から好調で8連勝。が、5月27日右肩の張りで故障者リスト入り。6月下旬に復帰し自身のキャリアハイとなる18勝をマーク。順風満帆なメジャースタートだったが、三年目のシーズンから毎年故障発生で二桁勝利から見放され、2012年12月にFAでレッドソックスを退団。
その後の松坂は過去の実績とはかけはなれた扱いを受け、2013年インディアンスではマイナー契約からのスタート。3Aクリッパーズで登板するも成績は上がらず、左脇腹を痛めて故障者リスト入り。8月契約解除を申し出て自由契約になった。
すぐにメッツと契約を結んで3勝をあげてシーズン終了。翌2014年はメッツとのマイナー契約でスタート。途中メジャー契約を結んで先発とリリーフで器用されたが、右肘の故障に悩まされ3勝3敗1セーブに終わり、シーズン終了後にFAになり、帰国してソフトバンクと3年契約を結んだ。
日本復帰後の松坂大輔
2015年再び日本球界復帰を果たしたが、オープン戦で右肩筋肉の疲労で離脱。8月に手術を受け全く登坂出来ずにシーズン終了。2016年はシーズン最終戦で楽天相手に先発したが1回KO。2017年も右肩の故障とリハビリで登板機会はなく、3年契約終了で退団。
2018年は中日の入団テストに合格して1年契約。4月30日横浜戦で日本では12年ぶりの勝利投手になるなど6勝をあげてカムバック賞を受賞。本格復活を期待されたが、翌2019年3月にファンに右腕を引かれて故障発生。未勝利に終わり中日を退団。
12月3日、古巣の西武が獲得を発表。14年ぶりにプロの出発点であるライオンズのユニフォームに袖を通した。2020年はコロナウイルス感染により開幕が遅れ、中日との練習試合に登板したが、開幕一軍から外れた。その後、首と右手の痺れに悩まされ手術。一度も登板なく終了。
2021年も右手の痺れで登板はなく7月7日現役引退を発表。天国も地獄もみた波瀾万丈の23年。12年の輝かしい光の時代と、後半の故障に明け暮れした11年。しかし、どちらも松坂大輔の生きざまであり、ファンの脳裏に刻み込まれた『平成の怪物』は永遠に消え去る事はないだろう。