松山英樹がついにマスターズを制した。男子ゴルフの今季メジャー初戦マスターズ・トーナメント最終日は11日(日本時間12日)、アメリカ・ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGCで行われた。前日の第3ラウンドまでに2位に4打差の通算11アンダーで首位からスタートした松山が、バックナインで苦しみながらも通算10アンダーで逃げ切り、日本男子初のメジャー制覇。
男子ゴルフの四大大会といわれる全米オープン、全米プロ、全英オープン、そしてマスターズトーナメント。これまで、日本の第一人者や名手と言われた選手があと一歩まで迫りながらも跳ね返されてきたメジャーの壁。その壁を見事に打ち破った松山英樹の栄誉を讃えると共に、これまでの先人達のメジャーへの挑戦を振り返ってみた。
ゴルフ四大大会(メジャー)とは
ゴルフの起源に関しては止まっている球状のものを打って柱に当てたり、穴に入れたりする遊びから始まったものでスコットランドの他にオランダや中国が発祥の地とも言われているが、現在のスポーツの形として完成したのはスコットランドである事は間違いない。
当然ながら、最初に始まったメジャーは1860年の全英オープン。その後、1895年に全米オープン、1919年マスターズ、そして1933年に全米プロが創設。その間2度の大戦で中止を余儀なくされて、メジャーとして定着したのは1960年というのが定説。
メジャーの歴代優勝者は圧倒的にアメリカが多く最多はジャック・ニクラウスの18回、タイガー・ウッズ15回、ウォルター・ヘーゲン11回、ベン・ホーガン9回、ゲーリー・プレーヤー9回、トム・ワトソン8回……(ゲーリー・プレーヤー以外は全てアメリカ)。
メジャー制覇へ迫った日本人選手
日本人として最初にメジャーでトップテン入りしたのが、『日本最強、ジャンボ』と恐れられた1973年マスターズ8位の尾崎将司。その他に全英、全米オープンでもトップテン入りしたが、尾崎は日本通算94勝を挙げるなど国内ツアーに専念した感がある。
世界に最も近かつた男といえば、尾崎のライバルで『世界の青木、コンコルド』と親しまれた青木功。1978年『世界マッチプレー選手権』を制し、1980年には全米オープンで『帝王ニクラウス』と死闘を繰り広げだが惜しくも2位。その後、アメリカツアーに参戦し『ハワイアン・オープン』等を制したが、ついにメジャーには届かなかった。
その他、全米プロ3位をはじめ青木の5回を上回るトップテン入り6回の中島常幸。全米オープン4位等トップテン入り3回の丸山茂樹。マスターズ、全米プロ4位の片山晋呉やマスターズ4位の伊沢利光、全英オープン5位の谷原秀人など、幾多の名手が挑んだがメジャー制覇という栄冠は得られなかった。
松山英樹の偉業とこれからの展望
今年決して調子良いとは言えなかった松山。初日トップから4打差の2位タイの好スタートとはいえ、優勝の予感はなかった。2日目は3打差に縮めたが6位タイまで11人の混戦。いつものメジャーのように善戦止まりかとも思われたが、トップのローズがスコアを落とした3日目松山はこの日7アンダー通算11アンダーで2位に4打差のトップに立つ。
これで優勝は確定かと思ったがマスターズはそんなに甘くはなかった。一時6打差に開いたサンデーバックナイン。15番のボギーで一気に2打差に。更に、16番も連続ボギーとしたが追うシャウフェレがまさかのトリプルボギー。松山は2打差で迎えた18番でもバンカーに入れるなど苦しんだが、最後にボギーパットを沈めて辛くも逃げ切った。
これまでも日本人選手でアメリカツアーに参戦した選手はいたが、青木功や丸山茂樹のように日本で実績を積んでから。しかし、松山英樹は大学生で日本国内ツアーに参戦すると同時に、スポット参戦したアメリカツアーで獲得賞金を積み上げ、翌2014年には早くもアメリカツアーに転向。若くしてアメリカツアーの場数を踏んだ経験が最後に生きた。この勝利は更に松山を成長させ、偉大な選手にしてくれるはず。この優勝に満足する事なく、更なる精進で名実共にトップ選手となって欲しい。