『あみたん』とも呼ばれ技巧派としてファンに愛された元関脇安美錦が7月16日引退を表明し、翌17日日本相撲協会に引退届を提出して年寄『安治川』襲名が正式に発表された。今後は伊勢ヶ浜部屋付きの親方として後進の指導にあたる。
夏場所の行われているドルフィンアリーナに伊勢ヶ浜親方と現れた安美錦は、「すっきりしている。好きな相撲をここまで長くやれて幸せ」「相撲と向き合えたのはケガがあったからこそ。いい力士人生だった」等と、時折目頭を押さえながらも晴れ晴れとした表情で会見に臨んだ。
● 飄々とした言動で誰からも愛されると同時に、相手力士には最も嫌がられた相撲巧者
相撲どころ青森県深浦町で生まれ、小学校に入ってすぐに相撲を始め、高校相撲で有名な鯵ヶ沢高校で活躍していた安美錦。1997年1月、高校から兄の安壮富士が入門していて父の従兄弟にあたる元横綱旭富士の安治川部屋に入門した。
厳しい稽古で知られる安治川部屋で鍛えられて3年後の2000年1月場所に新十両。同年7月場所には新入幕と順調に昇進していく。その新入幕場所で10勝5敗の好成績で敢闘賞受賞。その後、一度十両に落ちたが一場所で復帰してからは、一進一退を繰り返しながらも徐々に番付を上げて西前頭筆頭に昇進した2003年7月場所、悲劇は起こった。
11日目の闘牙戦で前十字靭帯と半月板損傷の重傷を負い、翌日からの休場を余儀なくされる。「早い内から体を作っておけば良かった。そうすればあんな事は起きなかったかもしれない。もったいない」と、当時はまだ小兵から抜け出していない体格から起こった事とされた怪我を、安治川親方は悔やんだ。
医師からは手術を勧められたが復帰まで半年かかる。「やってみたら意外にそこそことれた」と、敢えて手術しないで膝の周りを鍛え、怪我と付き合いながら出場の道を選んで翌場所から復帰。しかし、この決断が長い現役中常に古傷となって自身の相撲を苦しめる事になる。手術したからといって完治するとは限らないが、好素質を秘めていただけに筆者には(半年かかっても手術していれば……)との思いが未だに消えない。
ともあれ、自ら茨の道を選んだ安美錦。怪我と付き合いながらも体も大きくなり、一度だけ十両に陥落した事はあったが直ぐに再入幕して、幕内に定着し2006年11月場所には東小結昇進と、初の三役入り。その後は相撲巧者ぶりを発揮して度々横綱大関に土を付けて、常に三役か幕内上位で活躍したが、古傷となった右膝の故障で度々休場に追い込まれた。
安美錦の相撲っぷりは基本的には右四つ。上手出し投げが得意で崩して相手の懐に入ると思えば、いきなり激しい頭からのぶつかりや、のど輪で一気に前に出たり、足を掛けての小技も得意で、「安美錦は何をやってくるか分からないので取りにくい」と、横綱大関も嫌がる力士として存在感を示した。
度々、古傷の右膝の故障に泣いてきた安美錦。相撲巧者ぶりを発揮して幕内の座は維持してきたが、2016年5月場所2日目の栃ノ心戦で、今度は左アキレス腱断裂という大怪我を負い、その場所1勝2敗12休の上に翌7月場所も全休に追い込まれ、2004年以来12年ぶりの十両陥落。関取最年長37歳という年齢からこのまま引退かとの噂も聞かれたが、そのまま十両で取り続けて2017年11月場所で幕内復帰を果たした。そして、その場所は千秋楽に勝ち越しを決めて涙の敢闘賞受賞。
翌2018年1月場所また膝を痛めて休場。再出場するも3勝9敗3休に終わり再び十両陥落。しかし、一場所で幕内復帰を飾り喝采を浴びるが、4勝11敗に終わりまた十両陥落。この頃から見た目にも衰えは隠せないように筆者の目には映ったが、安美錦に土俵を降りるつもりはない。幕内復帰を目指して十両上位で懸命の土俵を続けるが、今年1月場所で3勝12敗と大きく負け越す。
3月場所は何とか踏ん張って西十両11枚目で8勝7敗と勝ち越す。更に5月場所は7勝8敗で再び西十両11枚目。十両は14枚目までしかないので、関取に留まるには最低でも6勝は必要。しかし、初日敗れて二日目の竜虎戦で右膝を痛めて連敗。7月16日幕下落ちが決定的になり現役引退を発表した。
通算成績907勝908敗55休
殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞6回、金星8個
現役生活23年のほとんどを怪我で悩まされて十分な相撲は取れなかったかもしれない。しかし、満身創痍でも23年間土俵に上がり続けて歴代1位の関取在位117場所を記録した、その飄々とした中にも見せ付けた『津軽のじょっぱり』は、ファンの脳裏から消え去る事はないだろう。
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