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史上初の親子日本一❗斉藤立、亡き父に捧げる日本選手権初制覇❗

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何のスポーツでも、いやスポーツに限らずどんな分野でも親が活躍し、その影響で同じ道に進む子供はいる。親からのDNAを受けて活躍する人も多いはず。そういった遺伝だけでなく、幼少の頃から同じ環境の下で育ち、その道に触れているという面でも二世は恵まれているのだろう。

いわゆる親子鷹とか○○二世と言われて注目を浴びるが、期待通りに活躍する人もいれば、親の領域には達し得ないで舞台から降りていく人もたくさんいる。4月29日男子柔道の全日本選手権で史上3番目という20歳の若さで制した斉藤立は、父斉藤仁との史上初めての親子制覇まで成し遂げた。

1988年・斉藤仁

青森市に生まれた斉藤仁は幼少から体に恵まれて小学生から相撲、その後柔道の道を目指した。中学までは相撲と柔道の二足のわらじだったが、3年時の青森県中学校体育大会の重量級優勝で、東京の国士舘高校に進学して本格的に柔道の道へと進んでいく。そこでインターハイ団体2連覇を果たして、そのまま国士舘大学へ進学した斉藤は運命のライバルと出会う

1年でいきなり全日本学生選手権で決勝進出を果たした斉藤の前に、当時4年生で既に全日本選手権3連覇中の東海大学山下泰裕が立ちはだかった。いきなり全日本の王者と相対した斉藤はポイントも奪えずに、崩上四方固めに抑え込まれて敗れたが、山下を返し技でぐらつかせる等の善戦。マスコミから『ポスト山下』『山下二世』などと騒ぎ立てられた。しかし、それは斉藤にとって苦難の道へのスタートともなった。

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大学では全日本学生体重別選手権などのタイトルを次々に獲得し、日本柔道の最高峰・全日本選手権大会でも活躍し1983年卒業と同時に助手として国士舘大学に残った斉藤。山下に全日本で敗れるが世界選手権、翌年のロサンゼルス五輪と金メダルを獲得。しかし1985年の全日本でも3年連続で決勝で敗れ、世界チャンピオンでありながら、全日本優勝を果たせないまま山下に9連覇を許し、引退の花道を飾られてしまう

山下引退後は王者として君臨するはずが、度重なる怪我で全日本で敗れ、もう斉藤も限界かという声も聞かれ始めた1988年。斉藤の怪我の間に連覇していた正木嘉美に勝って悲願の全日本初制覇とソウル五輪代表に選ばれる。そのソウルでは日本は大不振で金メダルゼロ。最後の砦となった斉藤が金メダルを手にして、涙を浮かべながら日の丸を見上げていた姿が、今でも忘れられない柔道ファンの語り草になっているという

2022年・斉藤立

1989年現役を引退した斉藤仁は、その後母校国士舘大学柔道部監督、全日本代表コーチ、監督、全日本強化委員長などの要職を長く勤めていたが、2013年肝内胆管癌が判明。1年以上の闘病の後2015年1月54歳の若さで永眠。この時、二男斉藤立12歳中学一年生。偉大な父に掛けられた最後の言葉は「(稽古に)行け」だったという。

その父の後を追って5歳から柔道を始めた斉藤立。小学生の全国少年柔道大会、中学時の全国中学校柔道大会を制するなど親譲りの強さを発揮。父と同様に国士舘高校に進学。一年生から活躍し、父のライバルで当時全日本柔道連盟会長の山下泰裕に、「今まで見てきた重量級選手の中でも可能性は最高」と言わしめた。2年時には史上最年少での全日本選手権出場を決める等順調に力を付けていった。

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三年生ではインターハイ連覇を果たして国士舘大学に進む。本人の目標である東京オリンピック代表には、さすがに手が届かなかったが2021年19歳にしてグランドスラム100キロ超級を制する等、父に劣らぬ活躍を見せ始める。2022年3月東京選手権優勝。4月の体重別選手権では世界チャンピオンの影浦心を初戦で下して、いよいよ斉藤立時代の到来を予感させた

そして迎えた4月29日、全日本選手権。準決勝で2度の大会優勝を誇る原沢久喜に反則勝ち等、全て一本勝ちで決勝進出。決勝では14分もの闘いの末に、技ありで再び影浦を下し史上3番目の20歳1ヶ月で優勝。父、仁との史上初の親子制覇を成し遂げた。「(稽古)に行け」との父の言葉に、「お父さんみたいに強くなるから」と返した12歳の約束。しかし、オリンピック2連覇の父に追い付くためにはまだまだ喜べない。パリで金メダルを獲って初めて偉大な父に近付ける

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