コロナウイルス禍によって世界中のスポーツ、イベントの延期、中止が余儀なくされていく中、大相撲も例外なくその嵐の洗礼を受けていく。3月の春場所は無観客開催。そして、5月の夏場所は中止に追い込まれた。
そして迎えた大相撲7月場所。主役は新大関朝乃山。その期待に違わず初日から9連勝と場所を引っ張っていく。しかし、両横綱と大関貴景勝の休場という興業面でのピンチを救ったのは、序二段から復活への狼煙を上げて5年ぶりの優勝を飾った元大関照ノ富士だった。
● 順風満帆、傲岸不遜の照ノ富士
2009年相撲留学で鳥取城北高校の三年生に編入した照ノ富士。翌2010年間垣部屋入門。その間垣部屋が閉鎖になり伊勢ヶ浜部屋に移籍した事が照ノ富士の相撲人生を変える。日馬富士を始めとした先輩関取の稽古相手に恵まれて、新十両、幕内と駆け上がりわずか2年後の2015年3月場所には新三役。5月場所には初優勝してあっという間に新大関の座を射止めてしまう。
そこまでの照ノ富士の印象としては、正に怖いもの知らずで言動にも不遜な気配が見え隠れしていて、本当の性格は分からないが野生児的で自分本位という感じを受けた。しかし、その順風満帆な土俵生活に暗雲がかかったのは大関昇進後のわずか2場所目。
11月場所の稀勢の里戦で右膝を負傷。その後は完治しないまま出場休場とカド番を繰り返し、2017年9月場所で5度目のカド番を迎えたが勝ち越す事は出来ず、14場所務めた大関から陥落してしまう。更に、10勝以上での大関復帰を目指した翌場所も途中休場に終わり、平幕力士に成り下がってしまった。
その後、左右の膝の故障の他に糖尿病の発症、腎臓結石等もあって十両に陥落。2018年7月場所にはとうとう幕下に陥落して関取の座も失ってしまう。その後も膝の手術で休場を繰り返し2019年3月場所には序二段まで番付を落としてしまった。
● どん底から復活した照ノ富士
大関を務めた力士がここまで番付を下げた例はない。照ノ富士本人は何度も引退を申し出たが、伊勢ヶ浜親方(元横綱旭富士)はその都度、「このまま辞めたら一生悔いが残る」「辞めるにしても辞めないにしても、まずは病気を治せ」と諭して絶対に引退を認めなかったという。
そこまで言ってくれる親方に対して、照ノ富士にも応援してくれる周囲の人の為にも相撲を取り続けようという意欲が湧いてくる。相撲を取る稽古は多く出来ないが、ウエートトレーニング等で体力を付け摂生に務めて体を作り直していく。
そして、その西序二段48枚目から照ノ富士の反撃が始まる。その場所で全勝優勝を果たすと三段目、幕下と番付を上げて今年1月場所で関取に返り咲き。いきなり十両で13連勝と力を見せて優勝。翌3月場所も10勝5敗で2年ぶりの幕内復帰を決めた。
今場所の活躍は改めて言うまでもないが、今年1月場所の徳昇龍と同じ幕尻で千秋楽関脇御嶽海を敗って、5年ぶりの優勝を決めた。28歳になった照ノ富士は5年前のはちゃめちゃな言動が消え、苦労人としての深みが出て人間として成長して帰ってきた。その見詰める先は大関を通り越して師匠と同じ横綱しかない。