不世出の名馬ディープインパクトが7月30日早朝天国に旅立った。28日頸部の手術を受けたが、翌29日の午前中に起立不能になり、30日早朝にレントゲン検査で頸椎に骨折が見つかり、回復の見込みが立たないとして安楽死の処置が取られた。
馬主だった金子真人氏や調教師として管理していた池江泰郎氏らは「心よりご冥福をお祈りします」とコメントして、名馬の急逝に涙を流していた。
「体調が良くないと聞いていたので心配していたのですが残念です。私の人生において本当に特別な馬でした。彼にはただただ感謝しかありません」と、全レースで手綱を取った武豊騎手は無念のコメントを残した。
亡くなって10日。各競馬場でも献花台が設けられてたくさんのファンが名馬を惜しみながら祈っていたが、競走馬としてだけでなく、種牡馬としても馬名通りの衝撃を残した名馬の活躍を振り返ってみる。
● 現代競馬らしからぬ名馬
馬体が小さかった事もありセレクトセールでは高評価されず金子真人氏に7000万円で落札されたディープインパクト。デビュー戦は2004年12月19日阪神競馬場。調教で初めて跨リ、「この馬、ちょっとヤバイかも」と興奮気味に話していた武豊騎手の言葉通り、単勝110円という人気に応えて上がり3ハロン33秒1という究極の末脚で、2着に4馬身の圧勝。
今、当時の映像等を見返して最も印象に残るレースが2戦目の『若駒ステークス』
レースは7頭立てだが、2頭が大きく離して逃げる2000メートルのレースで最後方からの競馬。直線に入っても先頭からは10馬身くらいの差を上がり33秒6で楽に差し切り逆に5馬身の差を付ける。2番目の上がりタイムが35秒0だから、如何に抜きん出ていたか分かる。この時点で『三冠馬確定』という声が漏れた程の、正にインパクトのある勝ち方だった。
その後、弥生賞を勝って臨んだ『三冠第一関門の皐月賞』は18頭立ての14番枠のスタートで躓き大きく出遅れる。騒然となった中山競馬場のスタンドをよそに、武豊は最後方から徐々にポジションを上げて短い中山の直線に入って10番手。大外から1頭だけ次元の違う脚で難なく抜け出して2馬身半差の快勝。
そして、ファンの予想通りに『日本ダービー』『菊花賞』と、勝ち続け無敗の三冠馬に君臨した。その年の『有馬記念』こそ三番手から抜け出したクリストフ•ルメール騎乗のハーツクライに、日本国内唯一の先着を許して2着に甘んじるが、4歳になってからも『天皇賞(春)』『宝塚記念』『ジャパンカップ』『有馬記念』と、途中に挑戦した世界最高峰と言われる『凱旋門賞』こそ失格となって敗れるが『七冠馬』に君臨。
同じ『無敗のダービー馬』『七冠馬』として比較されるシンボリルドルフが、安定した先行抜け出しの優等生とすれば、ディープインパクトは現代競馬とはかけ離れた『後方一気』型。
その圧倒的末脚でまさかの位置から確実に追い込んで来る一見破天荒な競馬が、『安定志向世代』と言われた平成人の心にディープなインパクトを与えたのかもしれない。
● 国内産馬として稀有の種牡馬
確かに、競走馬としても超の付く一流馬だったディープインパクト。しかし、三冠馬は他にもいるしこれからも現れるだろう。だが、種牡馬としてのディープインパクトの功績は競走馬の実績より更に偉大だ。これまで、2010年から2019年までの10年間。出走頭数1252頭で勝利数1947。大種牡馬と言われるサンデーサイレンスの2749勝に次ぐ史上2位。もし、この度の不幸がなければ上回っていたはず。
ダービー馬、キズナ、ワグネリアン、ロジャーバローズを始め女傑といわれジェンティルドンナ、更にリアルインパクト、サトノダイヤモンド、フィエールマン、ダノンプレミアム、ラヴズオンリーユー……、等G1馬は目白押し。
更に、現2歳馬、当歳馬等の中にディープインパクトの血を持つ『名馬後継』がまだまだ隠れているはず。
ディープインパクトは亡くなっても、産駒達が種牡馬、繁殖馬となって『ディープインパクトの血』を受け継ぎ、更なる名馬を産み出していくだろう。ディープインパクトは死すとも、その名が消える事は永遠にないだろう!
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