中央競馬騎手歴代4位の2636勝を残して名手福永祐一が引退。競馬の歴史を紐解くと【ミスター競馬】と崇められた野平祐二、【天才】と謳われた福永洋一、岡部幸雄、柴田政人、そして武豊などの名手が知られている。しかし、競馬は今でこそ老若男女を問わず親しまれレジャーの一角を占めているが、本質的にはギャンブルの一種。
競馬界は昔も今も世襲が多く、武邦彦、豊、幸四郎親子や、横山富雄、典弘、和生、武史の三世代などが知られているが、福永も父洋一、伯父に甲、二三雄、尚武を持つ競馬一家に生まれた。天才と謳われながら若くして落馬でターフを去った洋一の息子として、デビューから注目を集め、比較されるプレッシャーの中で名手としての地位を確立した福永祐一の騎手人生を振り返ってみる。
注目を浴びたデビュー期
1996年3月2日、北橋修二厩舎所属で史上2人目となる2連勝という派手なデビューを飾った福永祐一。武豊以来となる新人50勝超えで新人最多勝利。翌1997年にはキングヘイロー(現東京スポーツ杯2歳S)でJRA重賞初制覇。1999年にはプリモディーネを駆って桜花賞を制しGⅠ初勝利。暮れには北橋厩舎のエイシンプレストンで恩師への初重賞(現朝日杯フューチュリティS)も届けた。その後、同馬で香港マイルやクイーンエリザベス2世カップ連覇など海外でも活躍。武豊に続くスター騎手として脚光を浴びた。
その後も毎年のように国内外のGⅠレースを制覇。特に2005年には名牝に恵まれラインクラフトで桜花賞、NHKマイルカップ、シーザリオで日米のオークスを制覇。オークスは前年のダイワエルシェーロに続く連覇で『牝馬のユーイチ』と言われるようになった。また、2005年は自身初となる年間100勝超えの109勝をマークし、名実ともにトップジョッキーとなった。そして、翌2006年には師匠の北橋修二調教師の引退に伴いフリーになる。
師匠引退後の低迷期
2005年初めての100勝超えを達成した福永。しかし、北橋修二調教師の引退した2006年から再び80勝台に戻り、史上最長となる13年連続100勝超えの始まる2010までの低迷期を迎える。低迷といっても、80~90勝を続けているのだから決して悪い成績ではないが、取り沙汰される事が一流の証であろう。口うるさいファンからは、「北橋、瀬戸口という後ろ楯の調教師が相次いで辞めたのでコネがなくなった」等と誹謗され、『コネ永』と陰口を叩かれる始末。
そんな時に門を叩いたのが藤原英昭調教師。自身も騎手を目指していたが不合格で、同志社大学馬術部で活躍し、調教助手を経て2001年に35歳で厩舎開業した若手調教師。福永洋一の息子という事で以前から注目はしていたが、乗馬で活躍していた藤原の目には天才と言われた洋一の息子としてはまだまだと映ったという。「俺のところに来た目的は何だ。誰に勝ちたいんだ」という問いに、「武豊騎手です」と答えた福永。そこから、第2の師匠といえる藤原との関係が始まった。
当初は調教などには乗せても、レースでの騎乗以来はしなかったという藤原。しかし、藤原の教えと同時に理論派と言われる福永自身の努力。騎手としては初めてのトレーナーを付けての騎乗フォームのチェック等、独自の視線で心身共にレベルアップしていく。2010年以後は再び年間100勝ラインに乗せて、復活福永の反撃態勢が整っていく。それに伴って藤原からの騎乗依頼も徐々に増えていった。
充実一途の騎手後半
福永に対しての誹謗に、『勝負弱い』『大レースで勝てない』等という声が聞かれた。決してそんな事はないのだが、ダービーで有力馬に乗りながら勝てないイメージからそう言われたのだろう。特に、2013年エピファネイアでの皐月賞、ダービーでの連続2着惜敗が馬券を買うファンの目には頼りなく映ったらしい。そのダービーは天才と謳われた父洋一にも手が届かなかった福永家の宿願。祐一自身も初騎乗となるキングヘイローでの大敗からトラウマ的なレースで勝てないまま。
10年以上年間100勝を記録しながら、勝負弱いというレッテルが貼られる福永。しかし、レジェンド武豊が天才肌の自分とは違う理論派騎手として認める存在になった福永。ここ数年は競馬関係者やファンも唸る程の計算されたレースで勝ち鞍を伸ばしてきた。そして迎えた16年連続19回目のダービー。相棒は皐月賞で一番人気に推されながら7着に惨敗したワグネリアン。圧倒的不利と言われる8枠17番から好スタートを決めて、末脚が売りのワグネリアンを先行させて押し切った。未だに語り草となる好レースでついにダービー制覇。
ダービー制覇で更なる高い領域に達した福永。無敗三冠馬コントレイル、第2の師匠・藤原調教師のシャフリヤールでのダービー連覇。勝てないダービーから、ダービーなら福永とまで言われ【福永時代】とまで言わしめた程の押しも押されもせぬ名手となった福永。一流の証と言われる年間100勝を継続し、今が充実期と言われる時の誰もが惜しみ、驚いた騎手引退。しかし、騎手になった時から思い描いていたという調教師への夢。誰よりも馬に詳しく、理論派として極めた超一流ジョッキーとして、新たな道を進む福永祐一。彼ならこれまでにない調教師像を造り上げ、三冠騎手による三冠馬を育ててくれるに違いない。
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